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陸☆奮闘記 作・由音
「じゃあ、俺仕事行ってくる。今夜、店じゃないから昼まで帰れないかも」
「うん、戸締りちゃんとして寝るから。兄貴も気をつけてね
・・・ほら美空、お兄ちゃんに行ってらっしゃいと、おやすみなさい言って」
「お兄ちゃん行ってらっしゃい。おやすみなさぁい」
店から支給されたのか、お客さんに貰ったのかわからないけど
座り込んで真新しい靴に足を馴染ませようとしている兄貴の背中に抱きついて、
美空はそのまま眠ってしまいそうな声で言う。
「ちゃんとパジャマに着替えてから寝ろよな」
「ん〜、まだ寝ないの。金曜サスペンス・・・」
俺は美空を引き剥がし、すぐ着替えをするようキツく言って部屋へ行かせた。
「見せるなよ、金曜サスペンス。さっきCM観たけど、風俗がでてくる」
兄貴は口を「へ」の字にする。
――――― あんたが言うな
なんて・・・風俗店で稼いで、俺と美空を養ってくれてる兄貴にそんな事言えないけどさ。
兄貴が出かけた後、すぐにドアの鍵、窓の鍵、ガスを閉める。
そして、大家さんの奥さんからの電話。
多忙なはずなのに、俺達に気を使って毎晩かけてくれる。
直接訪ねてこないのは、美空が「夜のお客さん」を怖がるからだ。
「大丈夫です。戸締りなら今、完了して・・美空なら、もうウトウトしてます」
『美空ちゃん、すっかり風邪良くなったわね。夕方会ったのよ』
「あいつはシロップの風邪薬さえあれば、風邪なんか一日で治りますよ」
『そうそう。今日の夕飯カレーだったんだけどね、いっぱい余っちゃったから
明日持ってってあげるわ。9時頃、陸君家にいるかしら?』
「わぁ、万歳!ありがとうございます。なんなら俺取りに行きます」
大家さん一家は兄貴が、『親切な親戚のコンビニでアルバイトをしている』と思っている。
だから、夕飯を多めに作って分けてくれる訳だけど。
電話を切ったあと、寝ぼけた顔でTVの前に座っている美空をふとんに放り込んで、
箪笥の決まった引き出しにいつも兄貴がいれている貯金通帳をみた。
「6000万・・・ほんと、すごいよな」
兄貴自称「清貧主義者」だけど、これじゃあ「ケチ主義者」だよな。全く
俺達に両親がいなくなったのは3年前。
美空は4才、俺は9才で兄貴が13才になる年だった。
母さんはもともと家に寄り付かない人で、突然ふらりと帰ってくる。
兄貴に似ていて・・・あ、兄貴が母さんに似てるのか。
父さんは、兄貴に暴行したことを大家さんに通報されてから、家に帰ってこない。
警察に捕まってるわけじゃない。どこかへ逃げてしまった。
つまり、暴行事件は3年前。
最初父さんは美空を殴ろうとしたみたいだけど、それを止めに入った兄さんを暴行した。
俺は外遊びに行っていてその場にいなかった。
家にはいったら台所で仁王立ちした父さんの足元に、
血まみれの兄貴が倒れていて、美空がぎゃんぎゃん泣いていた。
父さんが俺の存在に気が付いて、振り向いていただろうときには
もう無我夢中で走り出していて、大人をたくさん連れて戻ってきたとき、
父さんの姿はどこにもなかった。
兄貴はそのまま病院に入院したけど、以外にも軽症で一週間足らずで帰ってきた。
しばらく学校にも行かず、刑事さんの質問にもろくに答えないで
ごろごろしたり、突然どこかへ出かけたりながら過ごしてた。
それから、
それから・・・、たった2ヵ月で兄貴は180度変わったんだ。
「親に虐待された子供」から「ホスト」に。
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暴行事件から、3週間目。
美空を保育園に迎えに行って帰ってきたとき、
大家さんがすごくにこにこした顔で、俺の家の前で男の人と話をしていた。
よく見たら、兄さんが男の人の隣に立ってる。これまたにこにこして。
――――兄貴がにこにこしてる・・・
やっぱり、頭平常じゃないんじゃないかな。と思ったとき
兄貴が突然振り返って、俺と美空に手招きした。
「やあ、陸くん。美空ちゃんのお迎えなら、うちの妻が行くって・・・」
大家さんが言う。
「いいえ・・・あの、」
俺が言いかけると、気持ち悪いくらいにこにこした兄貴が
「陸、この人は俺達の伯父さんだよ。生活の世話してくれるんだって」
「すぐに、外国に発たなきゃいけないそうだけど。大丈夫。俺達一家が君達を守ってあげるから」
大家さんがにこにこ言う。
「済まないね、傍に居てあげれたらどんなにいいか。」
その「伯父さん」は、すごく綺麗な顔をにこにこさせて美空を抱き上げたけど、
俺には、その人が俺と同じ血筋の延長線上にいる人だなんて思えなかった。
それは案の定、「伯父さん」が、
「すまないね。本当に申し訳ない」とか繰り返し言って、
衣類だの生活費だのを置いて帰っていったあと兄貴が俺にだけ話した。
まず、「伯父さん」は、父さんから兄貴を買ったカショとかいう
ホストクラブの従業員で、その人が置いていった生活費とやらは兄貴が稼いだものだった。
「俺が稼ぐから、お前は家事と美空の世話しろよ」
兄貴は札束を俺の胸に押し付けて言った。生きて行く為の生活分担だ、って。
そのときの兄貴の目の下のクマに浮かんだ茶色い下睫毛を、俺は鮮明に覚えてる。
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俺はその頃まだ、どんなふうに稼ぐかだなんて想像できる範囲が狭すぎた。
相手が男で、しかも兄貴はその頃まだ12歳だった。
流石の兄貴も、働き始めて3、4ヶ月ぐらいは、帰ってくるなり嘔吐したり、
ずっとシャワーを浴びっぱなしだったりしたけど
香蒔さんや柊さんを家に招くようになったあたりから、それがなくなっていった。
兄貴が女の子に見向きもしないのは分かってたけど、
男に服を剥かせて、からだを好きに触らせるだなんて今も考えたくない。
風呂から上がって、美空に布団を掛け直してから机に向かって宿題を片しはじめた。
ところが10時を過ぎた頃、呼び鈴が鳴った。
客は大体想像つく。しつこく呼び鈴を鳴らしているのを無視していたら、
今度はドアをドンドン叩き始めた。
「全くもう・・・」
美空が起きていないのを確かめて、「夜のお客さん」を中にいれることにした。
これ以上騒がれたら困る。
「母さんっもう10時!近所迷惑も甚だしいよ」
「何ヶ月ぶりかしらー、美空はぁ?」
ずうずうしく、ハイヒールを脱ぎ捨てて、母さんは上がりこんだ。
香水と酒の混ざった夜の匂いがする。
「もう寝てるよ。お願いだから帰って」
「帰るって、どこへ」
冷蔵庫をあけて、麦茶をグラスに注ぎながら形の良い唇を尖らせる。
年は40近いはずなのに、兄貴が女装したみたいな綺麗な顔だ。
「どうせ、ここよりいい所に住んでるんだろ」
「・・・いいじゃない。美空の寝顔ぐらい見せてよ」
グラスを片手に、寝室へ侵入すると、
俺の布団の隣で寝ている美空の髪を愛おしそうに撫ぜた。
俺は部屋の隅に立って、後ろ手でバッドを掴んでいた。
母さんは酔っていないときにも、突然ヒステリーを起こして暴れたりするからだ。
「ふふっ髪が短くなってる。美容院行ったのねぇ
・・・あら、ランドセルだぁ。そっか美空は1年生かぁ」
「母さん・・起きちゃうよ」
母さんは美空の勉強机の上に置いてあったランドセルを持ち上げ、面白そうに眺め回した。
「このランドセル、誰が買ったの?」
「兄貴だよ」
「ふーん」
母さんはランドセルを抱えたまま俯いて、動かなくなった。
俺はバッドを強く握りしめていた。
漸く、母さんが動いたのは5分ぐらい経ってからだ。
「ランドセルも買ってやらない母親は退散するわ」
不機嫌な声で言放つと、グラスを美空の勉強机の上に放置したまま、
ランドセルを俺に押し付けて廊下をまっすぐ、玄関に向かって歩き出した。
「兄貴にお金、借りに来たんじゃないの?」
「・・・・、」
振り返った母さんは、兄貴みたいに口をへの字にして、俺を睨みつけた。
「兄貴が男の人のところで寝て、そのまま朝帰りしたときに持ってきた
現金が一週間分あるよ。明日銀行に預けにいく予定だけどね」
「生意気よ・・・」
眉間に寄せていたシワが、ぐにゃりと怯んだ。
「海のくせに・・海のくせにっコドモのくせに、
2人も養えるなんて・・・、あたしよりも格上だなんて、酷いわ」
くるりと前を向くとヒールをつっかけて母さんは出て行った。
俺はしばらく、ドアの向こうでカツカツとヒールが遠ざかって行く音を聞きながら動けなかった。
そして眠るまで、香水と酒の夜の匂いで鼻がつんとした。
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次の日の正午前、兄貴は買い物袋を下げて帰ってきた。
「おにーちゃんお帰んなさい。
ひーお兄ちゃんと、こーじお兄ちゃんは今日来ないのー?」
「来ないよ。忙しいから」
「つまんなぁい」
マーケットの袋から、食品を取り出して冷蔵庫に詰める作業を兄貴とふたりでした。
目の下にクマはないけど、日焼けしない顔や指がなんとなく夜の人間といった風だ。
母さんと同じ、香水と酒の匂い。
ピーマンとかニンジンとか卵とか、めずらしくゴロゴロ買ってきている。
比較的古いものを今日調理しないと、精肉類も冷蔵庫に入らない。
「・・・あれっ、うそ!きよとの土曜朝市行ってきたの?」
「ベッド抜け出して」
「さすが、プロ」
兄貴がシャワーを浴びてる間に、
大家さんがくれたカレーを温めて美空に包丁の使い方を教えた。
そしてまだ、昨晩母さんが言い残していった言葉を考えていた。
あのひとは、僕等の[母親]としてこの家に戻ってくる気があるのだろうか。
本人は酔っていたから、なんとも云えないことだけど、
とりあえず昨晩母さんが家に来た事は、兄貴にも美空にも黙っておくことにする。
美空がもたもたと皿にご飯を盛っている間、
兄貴は髪を拭きながらカレンダーを眺めていた。
「兄貴、福神漬け無いんだけどさぁ。奈良漬代用でもいい?」
「・・・陸、大会予選いつ?野球の」
「え、兵庫とかで地震あったからなんとも言えないけど。予定なら来月の20日・・・どしたの」
「行く」
「はい?」
思わず、奈良漬を1パック駄目にするところだった。
中坊の野球観戦するの?ホストが。
「香蒔が観たいっていうから」
「ふ、ふーん・・・」
「こーじお兄ちゃんがどうしたの?野球するのっ!?」
美空がすかさず兄貴の腕にすがりつく。
「観るの。」
「美空もみるーっ」
美空は、どんなに顔の綺麗なお兄さんがぞろぞろ遊びに来ても、
野球部のいかついお兄さんがぞろぞろ遊びに来ても動じない小学生だけど、
将来、母さんみたいにホストとばかり遊ぶ生活はして欲しくない。
「コーチに聞いてみるよ。ほら、ご飯早く食べてよ。片付かないじゃない」
ニンジンを皿のふちにより分ける美空と、
玉葱を皿のふちにより分ける兄貴をどやしながら、夕食の献立を考える。
最近シイタケを使ってないかも。すき焼き作戦は失敗だったけど
天ぷらなら2人とも文句言わないかな。
それから大家さんに、兄貴が仕事でもらってきた洋菓子でも持っていこう。
俺以外は、なんの有り難味の無い食べ方してるし。
いつの間にか、主婦みたいな頭になってて自分でも驚く。
だけどあの3年前、
兄貴と決めた「生きて行く為の生活分担」が
これで生きているんだと思うと、ちょっと誇らしいかも。
貯金6000万円の清貧生活。
将来どうなるかはわからない。
兄貴のホストクラブの違法がばれてしまったときのこととか、
母さんや父さんがこの家に舞い戻ってきてしまった場合のこととか。
だけど、恐れていたら先へと歩んで行くのが苦しくなる。
そのときはそのときで考えればいいんだから。
なんだってうちには、世界一男に図太い女の子と、
スーパーの特売とベッド遊びのプロがいるんだし。
とりあえず俺の目標は、この2人の偏食を治すこと。
今夜は意地でも、シイタケを喰えるようにしてやるんだから。