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香蒔(コウジ)は首筋を撫でる湿った春風で目を覚ました。
小窓が微かに開いていて、清潔な白い光も差す。

時計を見上げると時刻は7時過ぎ。学校へ登校するにはまだ時間に余裕がある。
しかし、今日行われる古典の小テストの勉強を全くしていなかったことを思い出して、
自分以外の人間の体温が残る掛け布団の下から、慌てて這いあがった。

しかし、アルコールの残る頭では立ち上がるのも辛い。
洗顔をしようと洗面所に立った時、
香蒔はようやく片手に紙幣を数枚握っているのに気が付いた。

身支度を全て終えて玄関へ向かう。

通りかかる庭の縁側で、もう咲き終わった梅の木を眺めながら
砂和子がいつもの日課で煙草を吸っている。
きちんと黒髪を一つに結わえて、うぐいす色の着物を着ている。

「おはようございます」

と一礼し、

「おはよう。規則正しいわね」

と言いながら満足そうに煙をはく砂和子に、握っていた紙幣をすべて差し出す。
それを受け取った砂和子は中から二枚を抜き取り、

「お小遣い。さぁ、車とおまわりさんに気をつけて行ってらっしゃい」

そっと香蒔の手に握らせて、にっこり微笑む。

「ありがとうございます。では、行って参ります。」

香蒔は玄関で靴をはき、庭下駄を履いて門口へでてきた砂和子に見送られ、
足早に学校へと歩き出した。
まだ絡んでいる無駄な体温を、春風が優しく冷やす。