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香蒔は、夢も見ずに長い時間眠りの底に沈んでいたが
部屋の襖を引く音で目を覚ました。
「・・・・柊(ヒイラギ)先輩・・」
「おはよう。違うな、こんにちは」
香蒔の視界が不意に暗くなる。仕事が癖になっていて思わず目を閉じたが
柊は額に手を当てているだけだった。
「ああ、やっぱり熱があるな」
「柊先輩・・・どうしてここに」
「砂和子さんが、店のほうに電話を寄越したんだよ『香蒔さんの様子が変だ』って。
偶々、俺が受話器を取ったんだ。普通、医者に電話するよなぁ
・・・でも、体中に変な赤い発疹があったら診せられないな。」
苦笑し、そのまま香蒔の枕元に正座をして腕を組む。
「病人に接客させられないからな。今夜は店、休めよ」
「いいえ・・・、もう半日眠っていればこんなの治ります」
香蒔はだるい体を起こして柱時計を見上げた。午後1時だった。
昴のところへ行ったのが昨晩ならば、今日は土曜で学校は休みだ。
「治らねぇって。寝ろよほら・・・オーナーなら大丈夫。今頃、海に脅されてるぜ」
「海に・・・?」
「ここに来る途中会ってさ。4万握らせて行かせた。
『香蒔が昨日の客にインフルエンザを移されて死にそうだ。労災と有休60万よこせ』って」
「・・・・!」
香蒔は息を詰まらせたが、柊は面白そうに笑い声をたてた。
「大体、本当ならお前もあんな店で働くような年齢じゃないんだから。偶には倒れたっていいんだよ」
優しい囁きに香蒔の体の力は一気に抜け、再び枕に頭を預けた。
柊は香蒔が13才で華胥に入ったとき、すでに4年のベテランで香蒔に全てを教え込んだのは彼だった。
11才の初夏、両親に手を引かれてオーナーの元へ来たという。
両親の借金は15才のときに返済を済ませていて、今はもう稼ぐ理由は無いのだが、華胥の束縛から逃れられないでいる。
柊は香蒔の肩まで布団を掛け、いろいろと説明を加えながら薬品を枕元に並べた。
「それじゃあ俺は帰るから。何かあったら電話寄越せよ」
「・・・あの、『光司』先輩」
静かな動作で立ち上がり、帰ろうとした柊を香蒔は思わず呼び止めた。
「こら、仕事時間外は本名を使う約束だろう」
目を閉じると昨晩のことが鮮明に蘇る。聞かずにはいられなかった。
「昴という人、知っていますか?」
柊は首を傾げた。
「いいや、・・・客?」
香蒔は、柊が昴と関わっていないことに安心し、また、自分への不安がこみあげてきたが、
自然に笑顔がもれて柊の顔を見上げた。
「じゃあ、僕の勘違いです。気になさらないで下さい
今日は、来て下さって本当にありがとうございました。」