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「誰かと思った。…俺がお前を見間違えるわけないんだけど」
「…ちょっと図書館に行ってたんだ。その帰りだよ」

心なしか自分の声が震えている気がした。
ただ、海の声の方が香蒔の声よりも数段震えている。

「具合が悪いんじゃなかっ……や、お前が嘘つくなんて思ってないけどさ」

「少し、大げさになっただけだよ。もう随分良いから気分転換にと思って」
嘘はついていない。
図書館にも行って来たし、気分が良くなったのも事実。
ただ、勘のいい海に電話のことを聞かれるのは避けたかった。

「そっか。ならぶり返さないようにしろよ?」
「うん、ありがと。―――そういえば、海はどうしてここにいるの?」
「あぁ、ちょっと仕事帰り」


「遠かったんだよ、家が」とぼやきながら海は香蒔の少し前を歩く。
その背中を虚ろに見つめながら、先ほどの通話を思い出した。





―――昴と何らかの関係があったことを、自分なりに確信した。

ただ、何年間もどうでも良いと思っていた3日間の記憶のこと。
変わりに植えつけられた【事故】に巻き込まれたという記憶。
何処に行けば、誰に訊ねれば分かるだろう?
せめて、その事故が本当にあったのか、どうか。
欲を言えば。あったのだとしたら、関わっている人物の中に自分はいるのか。


急に、背中が近くなった。



「さっきから何ぼんやりしてんの?」
少しばかり苛立ちの混じった声がする。

「…え?…いや、なんでもないよ」
「何かあったくせに、俺には言えないんだ?」



「客のこと?自分のこと?世話してくれてる人のこと?」
勢い込んで海が声を荒げる。
音量が調節できていない。
反対側の車線にいる自転車に乗った少年が怪訝そうな顔でこちらを見た。



「それとも、孤児院にいた頃のこと?」



「……僕話したっけ?それ」
「やっぱり覚えてないか。だろうとは思ってたけど」

苛立ちを通り越して、苦笑した海が香蒔の肩に手を乗せ、「怒鳴ってごめん」と言った。

「うん、良いけど…。覚えてないってどういうこと?」



「俺ら、会ってるんだよ。華胥で顔合わせるよりも前に」

「何処で?」と香蒔が聞く前に、海は言葉を続けた。



「俺が入院してた病室に、運ばれてきたお前が入ってきたんだよ。多分、お前が華胥にくる半年くらい前に」


「知ってた?」とでも言いたげに、海は笑った。