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「突然電話を差上げてしまって、申し訳ありません。」
「一瞬どちら様かと思ってしまったわ。声変わりしちゃったのねぇ、コウくん」
「井原先生も、お元気そうでなによりです。」
香蒔を「コウくん」と呼ぶのは、有坂孤児院で身の回りの世話をしてくれていた「井原先生」だけだ。
「もう高校生なのよね・・・ええと、継親さん(オカアサン)と上手くやってる?」
「ええ、勿論!学校でも、早く家に帰って自分の家族の顔を見るのが楽しみで、うずうずしちゃって」
身に付けた演技とは夢にも思わないだろう。
安堵の溜息と笑い声が受話器の向こうから聞こえる。
「そういえば、祐樹はもう一人暮らしをしていますか?僕のひとつ上でしたよね」
「大阪の全寮制学校へ行ってるの。野球部でがんばってるそうよ」
「あはは、やっぱり。懐かしいな・・淳司とか潤も野球でしょう?」
記憶の中に残っていた孤児院の友達の名前をひっぱりだし、思い出話を盛り上げてゆく。
「そうなの。今年高校受験だっていうのに、夏まで忙しそうだわ。二人とも泥だらけで帰って来るの」
話の按配を計り、小銭がもう少しで無くなるのを確認すると、そのまま香蒔は本題を投げかけた。
「そういえば、昴は?」
「え?」
サァと、井原の声に色が消えるのが、はっきりとわかった。
「・・・あれ、昴って子・・いませんでしたっけ?」
「いいえ・・いなかったわよ」
井原は、明らかに動揺した声を、立て直すように慌てて笑い声をたてた。
「じゃあ、有坂の前にいた孤児院の子だったかな」
「きっとそうよ。コウくんには、キョウダイがいろんなところにいるんだものね。わかんなくなっちゃうわよ」
その後、適当に会話を切り上げて受話器を置いた。
昴と聞いて動揺した声。
それを慌てて打ち消した不安な笑い声。
間違いなく、自分は昴と関わりがある。
それも、平和なものじゃない。
記憶の中を辿るが、昴の姿は見つからない。
確かに、思い出せない記憶はビーズをばら撒いたように沢山ある。
だが、あの鋏で切り抜いてしまったように、ぽっかり空いた事故の3日間。
―――――どんな事故だったのだろう
コンコンと、電話ボックスを拳で叩く音で、香蒔はようやく我に還った。
「・・・、海!」
顔を上げると、硝子の向こうに不機嫌な顔をした海が、拳を胸のところに上げて立っていた。
一体いつから自分の姿を見止めて、そこに立っていたのだろうか。
どれだけの時間電話ボックスの中で考え込んでいたのかも、時間の感覚が麻痺していてわからない。
海はボックスの扉を開けた香蒔の二の腕を掴んで、引っ張り出し、
「・・・・・何してんの、お前」
と、ムッとした口調で聞いた。